先日の笛の稽古メモ。
海人のイロヘ掛三段を稽古、色々怪しいものの一応OK。
イロヘ掛は小鼓のウケ走リを受けてから、「ヒヒャウラー」に掛かるのが望ましいとのこと。幸流はウケとウケ走リを交互に打ちますが、大倉はウケ走リ斗リのようです。実演上はシテの一ツ拍子を受けて「ヒヒャウラ」になるため、小鼓の手の具合に注意するのは、どちらかと言えばシテ方の仕事です。
次の稽古は絃上(玄象)になりました。早笛と早舞ですね。
どちらも「早」とついていますが、意味合いは異なります。
早舞の「早」は能においては、「高貴な」という意味合いがあるようです。
神舞の速度が「早」いのも、品格のある人格(神格)という意味では通じるものがあります。
早舞は囃子としても神舞系列(太鼓のスミトリの地(短地)のあとは半刻ではなくウチカケに替る、小鼓初段ヲロシの手が甲ではなく頭に替るなど)ですから、早舞と神舞は通じるものがありそうです。
そういえば高砂、弓八幡などの神舞ものは融、須磨源氏などの早舞ものと、後場の構成が似ていますね。待謡を受けて出羽、サシ様の謡あって(弓八幡はノリ地に崩す)、舞に掛かる、舞アトにロンギの一段あってトメ。というパターンです。
一方の早笛には「高貴な」という意味合いはなさそうです。こちらは単純に「早い」という意味合いではないでしょうか。早笛の中にも位があり、金春流太鼓では、シテの早笛とツレの早笛とで、出の段の手が異なります。観世流太鼓では早笛とハシリという言い方をします。ハシリは早笛の簡略版といった感じで、ツレの登場に用い、原則一段で手を打たないのが特色です。ところが、護法、昭君、谷行、壇風ではシテの出ですが、ハシリを用います。しかも昭君は二段のようです。
笛の方では、手が変わるということはないのですが、掛のヒシギを吹かない、地掛の曲はいくつかあります。
(1)船弁慶や碇潜、これは水性の謡いから早笛に掛かるため、同じく水性であるヒシギを控えるようです。「波に浮かみて〜、の「波」が水性です。ヒシギが水性というのは、盤渉だからです。木火土金水の五行思想を能では、黄鐘が火属性で盤渉が水属性と考えます。
(2)シテに大癋あるときのツレの早笛、これは大癋に位を譲ってヒシギを控えます。皇帝、大会、第六天、張良などです。
その他、段無で出る手掛の曲もあります。船弁慶の各種小書や、小鍛冶の小書、黒塚の小書などでも見たことがあります。
早笛の替エ手としては、鉢木の早笛の二段に延年頽(エンネンクズシ)という習いの替エ手があるそうですが、未聴です。ちなみに鉢木の様な大小早笛を半早笛(ナカバハヤフエ)と呼ぶこともあります。