週末の舞台の走り書きメモ。肝心の鵜飼を書ききれなかったので、後日、稿を改めます。
加茂
シテ:金森隆晋 ツレ:川瀬隆士 天女:今井基 ワキ:舘田善博 ワキツレ:梅村昌功 吉田祐一 間:高澤祐介 笛:杉信太朗 小鼓:鳥山直也 大鼓:大倉栄太郎 太鼓:大川典良 後見:辰巳満次郎 大友順 地謡:水上優 渡邊茂人 小林晋也 東川尚史 金井賢郎 朝倉大輔 當山淳司
各役居つくを見て、半幕にて後見、矢立の作り物を持ち出、舞台正面に据える。後見引くを見て、笛ヒシギ、真の次第。本頭なく、上略、幕切りとなり、ワキ出、ワキ舞台に掛かる折、ヨセルツヅケ打たず、打切となり段。早メ頭となり、ワキはワキ座へ、ワキツレは舞台へ。打切とって、上略諷頭にて次第。三遍返となり、合頭上略打切、ヲキとなり名宣。ここまで脇能の定型通り。経験上、真の次第でヨセルツヅケを打つのは葛野流に限る?
名宣後、笠の打切あって、道行、道行半ばで替えの打切、着き台詞あって、ワキ一行、祭壇に由ありげなる白羽の矢立てを見て、好奇心を惹起。地元民の到着を待つ態で、ワキ座、地謡座前へ下ニ居。下ニ居を見て、笛ヒシギ、真の一声。一段目で幕切り?ツレ、シテ、橋掛かり進み、一の松、三の松に到着する折、段を取って、静メ頭、律の走リとなり、シテツレ一声謡い出し。影の打切アト、二の句謡い出しの契機となる大鼓「ハ、ハー、の掛け声にて、小鼓が第二拍に乙粒打つ也。ここは三地のイメージですが、観世流はツヅケ系統(ツヅケ中切?)を打つのかも、次の機会に注意して観察したい。
以下、アユミにてシテツレ舞台に入り、続いてワキとの一連の問答が続き、語リあって、初同。冒頭の「瀬見の小川の清ければ、の打切でツレは地謡座前に居、シテは立ち居のまま。弱吟に転じる辺りで笛アシライあり、シテは左廻リ、常座へ、以下ロンギの中途まで、常座を基準に詞章に応じた型あり。「いざいざ水を、とシテツレ向き合い、シテ一足ツメ、正に直りて、名文のロンギ。特徴的な型として、ロンギの中に「水もなく見えし大堰川、とシテツレともに舞台正面からワキ正面高めまで見回シあり、川を眺める心。「嵐のそこの、と3足正へ出、ヒラキ。「清滝川の水汲まは、高根の深雪とけぬべき、と6足出て右受けし「朝日待ちゐて、と朝日を待つ心。「汲まぬ音羽の瀧波は、と右廻リ大小前一つ手前(常座寄り*)へ。「戴く桶も身の上と、と一旦引き揃えた後、大鼓カシラを受けた勢いを使って、正先*へサラリと4足出、笛座向き直り、落日に名残を惜しむ心、片見廻シにて正に直って、下ニ居て、大小鼓クセドメを打つ中に合掌留。(*正先は矢立があるので、正先スミ寄りで留)。
中入り地はカシラ打出し。「真を現さば、と一旦右受け3足出、「名ばかりは白真弓、と次は左袖を払う型。「やごとなき神ぞかし、とワキへ1足ツメると位早まり、「かき消すように失せる系」の中入りの定型である行掛リ、常座にてマワリ返シ、正面へヒラキとなって、来序打出し。
この来序は、シテ中入りした後に、後見、矢立を回収し幕に帰るため、寸法は長め。後見が幕に入ったのを確認して太鼓より狂言来序に崩して、末社の神登場。ワキの参拝を加茂の神(←ということは後シテ)が喜んでいるから、ワキに舞を献上する態で、三段の舞と、「めでたやなの舞」三段舞は呂中干で段。末社の神引いて、脇能打出しの出羽。付頭二ツ。段を取って、幕上ゲの手となり、天女出、天女一の松にて、コイ合。以下謡あって、打上、「感応あれば、と地が受けて出。ここは金春太鼓は、付頭二ツ、ヲロシマクリ、打込となり、少しトリッキー。観世太鼓では、上ヨリ打切頭、付頭、ヲロシ、打込となるようです。金春の場合、「感応あれば影向微妙の、と気持ちどっしり謡って、以下少しカカって謡うという心持。観世太鼓であれば、「感応あれば、と最初から多分にカカル心持。となりそうです。
天女の舞はほぼ中之舞ですが、ヤリヤリの段のスミトリは回リ込ムなど破之舞要素あり、総体に軽め。トメは打ち込んで、ノリ地。このノリ地部分、「水に浸して涼み取る、は観世流太鼓、金春流太鼓ともに手があるのが特徴です。今回は金春なので、手は長地です。囃子の論理からすると、ここに手を打つ必然性はないのですが、天女はここでコスミ辺りにて下ニ居し、扇にてやや右辺りを一ツ汲ミ、正に直って左袖に注ぎ、の所作を二回繰り返す型があります。このシーンを印象付けるために手を打つようです。金春の手と型はぴったりと噛み合っている印象を受けました。ちなみに、観世流太鼓ではヒトクサリ遅れて手を打つのですが、もしかしたらシテ方観世流では上記の型に対応する所作がヒトクサリ後にあるなどの理由があるのかも知れません。観能の経験値不足のため、判然としませんので、今後の研究課題です。ノリ地をはづして、早笛にカカルのは、嵐山などと同様のスタイル。ここで、天女が幕に向かってヒキワケてシテの出を予感させるのも典型で、竹生島などにも同様の型あり。
さてシテが登場し、名宣りあって、打上て、ノリ地。この手の強いシテはノリ地の冒頭で4つ、3つ、2つと拍子を踏むことが多いようですが、加茂も「あるいは諸天善神となって、と件の拍子あり。「又は国土を、と正先にてサシマワシ、続いて行掛リて大小前にてシカケヒラキして働キ、以降は舞囃子と概ね一緒ですが、違う箇所は、「威光を顕しおはしまして、とスミにてフミトメ、正中方向へ右足1足出、飛返リ、下ニ居て左袖かづく、天女地謡座前から立ち上がり、幕へ帰って行くのを、シテ足をにじりながら見送る。これは竹生島の能のキリと同じ型です。さて天女を見送った後、シテ立ち上がりワキ座へ、この後は、仕舞と概ね一緒ですが、私の感覚として、型の合わせどころを一クサリ遅らせているような印象でした、型が減るからでしょう。二ツ合膝して立ち上がった後は回リ込ミせずにスミトリし、両袖を返してバンザイ\(^-^)/で橋掛りへ行き、三の松で弊を捨ててトメ。(モロヒシギ)
所感
これまでに2回、舞囃子を舞ったことがあるので、比較的細かい部分に注目して舞台を拝見。シテは、前場の所作、特にハコビが丁寧であったのが心地よく、後場は比較的ドッシリと舞われていた。割合かかるイメージを持っていたので、今回の演じ方は一つ参考になった、特に前場後場ともに、掛け合いの謡い、型が整っていた。やや残念だったのは、シテの声量が物足りないこと。特に後場の「別雷の神なり、辺りは囃子の音量に完全に負けていたのが惜しかった。
囃子に関して、笛が非常に良かった。笛は初心者なのでテクニカルなことは分からないですが、音の美しさに感激。自身の稽古不足を反省。