令和七年同明能

久々に能を観に行きました。メモを残しておきます。

翁 シテの調子が高くて祝言性が高く感じました。

高砂八段 八段の時は出端のカシラ数五・三と聞いたのですが、常の通りでした。ただし越あり。神舞の掛はヒトクサリ延びるタイプでした。

安宅延年之舞 万歳ましませ、などの句は入らず、瀧流と同じ形で延年掛、三段は左→後→前に飛ぶと聞いていましたが、左→右→前でした。掛け声は1回目に飛ぶ時だけと思っていましたが、1回目と3回目に掛けていました。林家の型かも知れません。笛が良かったです。

鷺 乱留ではなく、呂中干に直ってヤリヤリの段で留。呂留の場合は老鷺、ヒシギの場合は若鷺らしいです。老鷺でした。太鼓も調子を下げて打っていたように感じました。笛も素晴らしかったです。

道成寺古式 常のやり方を知らないので、古式の演出を推測で書きますと、解説によると常は中年の女性だが古式では若い女とする、とあったので、その影響で面は孫次郎のようでした。鶴菱は金剛の決まり模様だと思いますが、地は紅でしたので、こちらも紅入になっているのだと思います。2階席だったのではっきりは見えませんでしたが、襟は白と赤だったと思います。摺箔は鱗箔ではなく(多分)、白でした。縫箔は黒地立湧に丸紋尽でした。黒地丸紋は各流で観ますが、立湧は初めて観ました。片物着が長いと思いましたが、常の通りかも知れません。乱拍子は四段で中の段でした。「名」付けたりで一つ拍子、数拍子を踏む方をよく観ます。扇はよく見る牡丹ではなく、ピンク?の九曜星?でした。鐘入りは斜めに飛び込む型、回転はしない。後シテの装束は面は蛇、葛ではなく赤頭(かなり茶けている渋い逸品)、祈はよく見る初めのツケ頭に合わせて順に被衣を身体に巻く型ではなく、3回目のツケ頭で一気に身体に纏わせて抱える様な型、金剛の定型を知りませんが、恐らく定型通りスミで沈ミ、ワキ座へワキを追い詰めて初段、初段は鱗落としせずに幕へ退き、常座に戻って拍子踏んで二段。囃子に手があって、シテが橋掛に再び退く、退き際に柱巻しつつ鱗落とし(舞台から橋掛に向かう方向での柱巻を初めて観ました)、その後掛と同じ様にスミ→ワキと進んで三段、半打込で留。謹請東方の前に、善知鳥の組み落としの様な要領で数拍子があり、足拍子四つ目に付けて「謹請東方〜、と謡出しとなりました。足拍子に鼓も合わせ打ちしており、華やか。留の走り込みは、よく打杖を添え手にしているものを観ますが、打杖を鵜飼の前シテの要領で振り立てながら走り込み。赤い打杖の動きは、大蛇の舌がチロチロとしているように見えました。

全体を通して印象に残ったのは、道成寺古式の祈リ。常のやり方を知らないので推測ですが、常はシテ柱で鱗落とし、幕際から一の松に戻って二段、二段ですぐ柱巻(橋掛から舞台に入る動線で柱巻にする)となり、スミ→ワキ座で三段。が常のやり方ではないかと思いました。とすると、初段、二段の工夫が素晴らしく、一の松でなく常座で段とすることで橋掛に戻る動線を用意し、橋掛に戻る動線を使って柱巻と鱗落としを同時に行うという着想、とてもよく考えられていると感じました。

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