満次郎の会、令縁和傳

週末に満次郎の会に行ってきました!

体裁は推敲出来ておらず砧の感想を書けていませんが、主に連獅子を忘れないうちにメモ。(見所が暗くてメモ出来ませんでした。。。)

歌占クセ
つい最近まで稽古していた曲。型が余る仕舞ですが、序破急での補い方が参考になりました。
「血狼藉たり」の時間の使い方、身ヲカヘの扇の使い方などなど、発見あり。
地謡が「石割地獄」のヤヲで「地獄の苦しみも無量なり」と混同してしまい、ヒヤッとしましたが、自然に「両崖の大石」に戻りました。

石橋連獅子
一畳台は、常(小書なしの場合)は正先に1台(ワキ柱方向の角に赤牡丹、スミ柱側に立枝付きの白牡丹)、脇正面に斜めに1台ですが、連獅子では正先に2台を長手方向につなげて並べ(正面向かって右側の台のワキ柱側に赤牡丹、向かって左側の台のスミ柱側に立枝付きの白牡丹)、ワキ正面に斜めに1台(見所側の角にピンク牡丹)。うーん。言葉で書くとよく分からない!

ピンクの牡丹は他流になく、宝生特有と聞いています。立枝は狂ヒ(獅子舞)の中で足を載せるために使います。

獅子の出~狂ヒ部分の構成は、乱序カカリ→露拍子→出の乱序1→子獅子の出→(露拍子なし)→出の乱序2→親獅子の出→特殊の手→狂ヒ9段(カカリ→地→地→小返→小返→干ノ手→呂ノ手→大返→トメ)という感じ。

乱序カカリの初めのヒシギで、半幕にて子獅子見せ、、、のはず。(中正面からは半幕見えず・・・もしかしたら半幕でシテ=親獅子を見せる?)

カカリは常の崩しの手のあと、露の拍子あって、出の乱序(乱序の後半部分)で子獅子出て、三の松にて双袖張って首振り(常は一の松での型のはず)、後述の流しの中に太鼓座辺りでとまり、親獅子の出現を待つ態で、左半身に幕へ面切り。

上記の流しは大鼓がまづ、ヤ△ハン、ハ△△・・・の地(ヌクツヅケ)を打ち行き、大鼓に誘われる態で太鼓が流しに合流。子獅子が太鼓座傍に来たところで、太鼓が習ノ半打込、カシラ打ってトメ、笛ヒシギなし。(大鼓が地を打っており、流しを途中で切れないため、打込にしている模様、また常は笛の判断でヒシギあって流しトメになるが、トメの判断を太鼓に移譲するためにヒシギを省く処置と推測)

上記、子獅子が太鼓座に着いたところで再び出の乱序。

初めの△を大鼓が突っかかり気味に打ち、興味を唆る。カシラ打ち行きは、子獅子の乱序よりは位重め。またカシラ打ち行きのトメの手は特殊で、太鼓が右、左と小の撥で天天打ち、カシラ一つ、続いて大鼓がカシラ一つ、太鼓が更にカシラ一つ(八つ割の手付で表現するならば片地(一ツ地)寸法の付ガシラとなる)、続いて太鼓が替ツナギ、四ツハジキ(掛け声なし)を打つ。位は強く、かなりしっかり目。

親獅子三の松に出ると、子獅子も一の松に出て向かい合い、真の一声のようなフォーメーションに。親子が、上記の四ツハジキに合わせて揃って四拍子を踏む。

拍子を踏んだら大鼓ハ△から、太鼓が全く不明な手を打ち(後半にマクリ3ツは打っていました)、続いて流しとなり、子獅子が正先に出、親獅子は橋掛一の松に出、ヒシギあってトメ、親子とも双手をツイて、常の手で獅子舞に掛かる。

獅子舞部分は忙しくてメモ出来ませんでしたが、最初の地二つまでは大体いつも通りだと思います。

カカリで左右に袖アシラヒ、頭振って反り、双手をツイて段。

地で左へ反り返り、カカリと同様に袖アシラヒ頭振り等して段。

二つ目の地で右反り返りカカリと同様に段。

次の小返の段以降は親子入り乱れてアクロバティックなので記憶曖昧。立枝に足を載せる所、常は呂ノ手の中の型だったと思いますが、連獅子では干ノ手の中でも載せていたと思います。親子どちらだったかは覚えていません。。

呂ノ手は観世流の小書ではよく拍子を外していますが、連獅子では拍子合いでした。

また連獅子では、首振りの型は親はゆったりしっかりと、子は威勢よくキビキビとしており、差をつけていました。

キリの詞章は、「大筋りきんの獅子頭」を「大筋りきんの連獅子と」に替え。

石橋は前場も好きですが、半能は潔くて?もっと好きだと再認識しました。宝生流も、もっと石橋出しましょう〜!

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