令和元年 全宝連 船弁慶、後之出留之伝

先週、全宝連の応援に行って参りました。
比較的レベルの高い舞台が揃っており感心。京大は大過なく、各々の舞台を全う、舞囃子も大きな事故なし。東大の連吟ならびに仕舞のレベルはこの数年で飛躍。人数が少ない大学も良く頑張っていました。2日目の鑑賞能、船弁慶、後之出留之伝のメモを起こします。

船弁慶後之出留之伝
シテ:辰巳満次郎 子方:学生 ワキ:原大 ワキツレ:久馬治彦 間:泉慎也 笛:貞光智宣 小鼓:高橋奈王子 大鼓:渡部愉 太鼓:上田慎也 後見:石黒実都 辰巳大二郎 地謡:山内崇生 小倉伸二郎 和久壮太郎 澤田宏司 亀井雄二 畑宏隆 吉本正春 伊東静夫

次第段無し、各役登場、子方は側次ではなく長絹。この曲の定かどうかは不詳。次第ヲキ、名宣リあって、サシ~下歌~上歌を省略し、ワキとアイの問答となる。アイは船の準備をする態で間座へ座し、常の如く子方とのやり取りを経て、一ノ松にて幕内のシテを呼び出し、問答などあって、シテ懐疑の心で舞台へ。正先にて子方の本心を窺い、己の猜疑心を恥じる態で、初同「波風も静を留め給ふかと、名文です。波風が静であるのは船出にとっては喜ばしい訳ですが、それは直ぐにでも静を置いて去ってしまうということです。シテ涙に咽ぶ中に、子方、シテに舞を所望。物着となり、静烏帽子(金色の前折烏帽子)をつけます。観世の類似の小書では長絹をつけることもあるようですが、後之出留之伝に同様の演出があるかどうかは不明です。船弁慶の烏帽子は結び方に習いあり、片手で引けば繙けるようになっております。

さて物着せ済みて、シテは小野篁の漢詩を詠みながら舞いにかかります。

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小野篁は隠岐に島流しされた人物で、謹慎が解け、帰還する際に詠んだ歌こそシテの詠んだ「渡口郵船風定出 波頭謫処日晴看」ですから、まさに「時の調子を取り」時宜に即した歌を選んでいる訳です。ちなみに小野篁が島流しの際に詠んだ歌は「わたのはら 八十島かけて漕ぎ出でんと 人には告げよ海人の釣舟」です。

本来、ここでイロヘとなりますが、今回の所演では、後述の様にサシクセを省く演出であったため、イロヘも省略されておりました。サシクセを省いていながらイロヘを残す場合、中之舞への接続が不安定なためでしょう。

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サシクセを省かない場合は、ここでイロヘの立ち廻りで舞台を一周したところで大鼓シカケ、大小打上ヲキを聞いてサシ謡い出しとなります。ちなみにサシクセでも、時宜に即した故事を引用した上で、慎ましく身を引くことこそ天の定めと続きます。静の教養の高さ、慎みの深さが感じられます。そして、いずれは頼朝も義経の無実を聞き入れ、再び兄弟仲、睦まじくなるでしょう。と言った趣旨を述べ、中之舞にかかります。

「渡口の郵船は風定まって出づ、の一連の謡の中に頭組あって、小鼓、ウケ走系の手を打ち、打放あって、続く長地の中より笛吹き出しとなり、いわゆる破掛中之舞。二段オロシ前まではほぼ常の通り、二段オロシは常は右受ですが、この小書では左を向き、子方を会釈い(あしらい)ます。オロシの中で、シテは二段シヲリとなり、子方もシテを受けてシヲリます。二段シヲリは宝生では珍しい型です。宝生のシヲリはまづ肚で泣き(クモリ)、続いて手で泣く(シヲリ)ため、シヲリの所作自体は一ツが通例です。
囃子としては、二段オロシ初句より笛は会釈吹きとなり、大小ともコイ合三地となります、本所演ではコイ合二クサリあって特別の手(越の段の手に似ている?)となり、三クサリ程度打ち(大小コミずれたか?)、オロシ直って地一ツ打ち、すぐにシカケて地頭となり、小鼓打下あと結を打ってコイ合留、まで二段舞の寸法。ただし常のコイ合留と異なり、呂上げで謡い出しとなる(二クサリずれる)、宝生では常は干で謡い出し。呂上げ自体は、急之舞や老女之舞などにもあります。

舞アト、常の中入となり、波風が荒くなる気配。それでも船出を急がせんと、ワキはアイに船出の準備を命じ、アイ船にワキ、ワキツレを乗せ、世間話の中に波頭二回。波頭は三回が本式のようですが、三回はまだ観たことありません。

波頭済みて波間に平家の一門が出現した態で、地謡「一門の月卿雲霞の如く、と謡出し「波に浮かみて見えたるぞや、で太鼓打出。常は「見えたるぞやで半打出となりますが、この小書では「波に、から習の打出、半刻アゲ、打込となり、常より2クサリほど寸法が長くなるため、たっぷり謡います。またこの太鼓打出のタイミングで半幕となり、床几に掛けたシテの足元が見える演出です。

すぐにまた半幕が降ります。打込を受けて本幕となり、常の見計らいでシテ謡あり。シテ謡あと幕降り、地謡「声を標に、はシッカリと謡い、「出で船の、の打込からカカッテ謡う。打込の中に早笛吹き出し。ただし打込は第五拍をヒカエ、ここより特別の手となる、手掛り早笛也。吹き出しを受けて半幕降り、太鼓がカシラスリツケ高刻ハネを打つと、幕一気に上がり、後シテ出、装束は常の法被(モギドウも多いですが)ではなく、衣紋付。シテ一ノ松にて太鼓上リ、半打込、一拍子で「声を標に、となる。ここまで後之出之伝(多分)。

その後、概ね常の型で進行。働キは掛でスグに子方に詰め寄り、左半身で子方に面切りして段。初段は金春流太鼓では常は打たない祈り地あり(観世流太鼓の船弁慶では初段に祈り地を打つ)。初段でシテ常座へ後退する中に、太鼓刻上ゲ高刻となり、常座にて長刀イロヘる中に祈り地打ち行きとなります。祈り地シカケを受けて正先へ出、一旦飛び上がって臥し、伸び上がり乍子方へ長刀を突きつけ、二段。二段はスグに打込となります、シテ正先から常の如く常座に戻り、クツロいで打込打返。その後は概ね常の型で進行。祈り祈られる中にシテは橋掛りへ退散し、「弁慶船子に、あたりで二ノ松にて長刀ステ、太刀ヌキ、「猶怨霊は、と舞台へ戻る。舞台に入る際、常座にて一ツ飛ぶ型あり、子方へ詰め寄るも祈り退けられ僅かにシメ、「また引く汐に、から流シ三クサリ半打ち、打掛打込。流シの中にシテは幕に走り込みとなり、幕降りる。打込となって、幕揚がり半幕となり、幕入したシテの背中を見せる珍しい演出。打込は第二拍から習の本打込に接続し、残りドメ。合頭にて幕降りるを以って後之留之伝(多分)

kagra

後之出之伝→後シテの登場が変わるよ
後之留之伝→後シテの退場が変わるよ
後之出留之伝→後之出之伝+後之留之伝だよ(多分)

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