桑弧蓬矢(ソウコホウシ)という言葉があります。男子の誕生に雄飛を願い、桑の弓で四方に蓬の矢を放った故事によるものです。
この言葉は、弓八幡の初同「桑の弓、取るや蓬の八幡山」を知っていればすぐに覚えられます。「桑の弓」が桑弧ですね。蓬矢はどこにあるかというと、「蓬の八幡山」に「蓬の矢」が掛かっています。
弓矢系の掛詞の類は、能に頻出です。身近な道具であったことが偲ばれます。
例えば七騎落の「忠勤の道に入る弓矢の家」は「射る弓矢」、誓願寺の「紀の関守が手束弓、いで入る日数重なりて」は「関守が立つ」「手束弓、いで射る」、是界の「力も槻弓の八島の波」は「力も尽き」「槻弓の矢」、雲雀山の「紀の関守が手束弓、入るさか帰るさか」は「関守が立つ」「手束弓、射る」、夜討曽我の「今は時致も運槻弓の」は「運尽き」、などなど。
槻弓、手束弓の他に、梓弓ですと葵上、井筒、砧などにありますが、掛詞としては用いないようです。槻弓(尽き)、手束弓(立つ)の方が掛けやすいのでしょう。
ところで、安宅の「とくとく立てや手束弓の、心許すな関守の人々」は?
これは「立てや」と「手束」の音韻を踏んだものでしょうか。
「立てや」の「や」が「矢」に掛かるとも?(「弓の弧」とも?)
八島の「武士の八島にいるや槻弓の」などは「武士」「矢」「射る」「槻弓」と、如何にも武人らしくて清清しいですね。