宝生流、春の別会能

予定が雲散霧消する今日この頃ですが、昨日は宝生流別会に行って参りました。

装束付には白綾、また白箔を着付けに着とありますが、着付けは淡黄蘗のようでした。完全な白色を遠慮しているのでしょうか。

ワキが活躍する曲で、子方も大変なのですが、主眼はやはり鷺の乱。笛は一噌。森田流では初段にヒシギがあるのですが、一噌では吹かないようでした。あるいは若鷺と老鷺の区別があるのかもしれません。

舞は実質四段で、段を取る舞台上の位置は各段とも一般的な五段(四段)の舞に準拠していました。ただし地が短いため、大左右など、移動の多い型は省略されている印象でした。三段目に扇取り直したあと、常座で小廻りして跳扇二つ、ここは羽衣盤渉のキリに似た雰囲気で、浮遊感がありました。抜き足を用いるのも、鷺の歩行を模しているようで面白かったです。また舞の中では段前の拍子は控えてシヅミでした。拍子を踏むと鷺っぽくないからでしょう。この曲でシテが拍子を踏んだのはトメ拍子だけでした。

隅田川

念仏の段に地謡の中に子方が混じる演出は、やはり画期的です。また、船中のワキの語りが臨場感あり、引き込まれました。

都鳥の段では、四地に大鼓ヨーイ△△△から△△とハシル手を打っていたのが、シテの押し引きに上手くハマっており、心を打たれました。ここの謡いは宝生は効果的な節付が多く、名句。ここで泣ければ通です(当社調べ)

道成寺

大二郎先生の披キ!

解説には、体力、知力、技術力、注意力、心身のすべてを結集して取り組むとありました。この曲は各役との相応の駆引きがある点、異色です。狂言とは、法の場での駆け引き、大鼓とは物着独調(片物着)での駆け引き、小鼓とは乱拍子での駆け引き、笛とは急之舞での駆け引き(二段あと地頭前、シテ鐘を見込んでヒシギ)、太鼓とは祈での駆け引き(特に鱗落としの手)。

囃子にはそれぞれ魅せ技のようなものがあります。小鼓「名附たりや、に名附頭、大鼓「大日大聖不動、に不動頭、太鼓「撞鐘こそ、に撞鐘頭、笛は三光のヒシギ(乱拍子中の段、急之舞見込、鐘入りにヒシギ)

このように各役ともに気合十分の一番、シテも凄まじい気迫で、次第で橋掛を歩んでいる風情からして見所に緊張が張り詰めました。況や乱拍子をや。。。

一つ一つは取り上げませんが、シテは指先にまで集中力を張り巡らしているのだな、と感じる舞台でした。

そして今回の地頭は満次郎先生で、辰巳家で揃われていることに、勝手に一段の感慨を覚えました。。

余談ですが、前場では灯いていなかった橋掛のアップライトが、後場でいつのまにか灯いており、祈では蝋燭能の様な効果でシテの柱巻きを演出していました。定刻で照明が灯いただけかも知れませんが、狙っていたのであれば感心です。

トメは走り込みながらの飛び上がり平臥も決まり(凄い音でした)、いつまでも拍手の止まない良い舞台でした。

大二郎先生、この度はおめでとうございました!

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