第六十五回 同明会能

今年も行ってきたので何曲かを簡単に振り返り。今回は能は出なかったので、やや上級者向けな会でした。

老松

高橋忍先生。金春流の地謡の作法が草の構へだったのが衝撃。能も舞囃子も同じなんですね、仕舞はどうなのでしょうか。

キリは「千代に八千代にさざれ石の、がシテ謡いでした。

とはいえ囃子は普通に短地を打っていました。ここは寸法的には、金春太鼓だとよく、カケ切→刻付→半打切カシラを打つのですが、こういう例もあるのですね。

忠度

辰巳満次郎先生、地頭は金井雄資先生。

落馬する型のキメ方が格好良かったので真似してみたいと思いました。

謡はコイ合の時に、上の句の産み字をどこまで攻められるか、という駆け引きが勉強になりました。(特に「また弓箭にたづさわりて、あたり)

「降りみ降らずみ定めなき、は関西では切る切らずを入れる謡をよく聴きますが、今回はモッていたので、東京ではモチを出して謡う方が主流なのかも知れません。

一調 善知鳥

謡は金井雄資先生でしたが、非常に品のある善知鳥で、三川泉先生の謡いをなんとなく思い出しました。また「せ」の発音が「すしぇ」に近く、本来の宝生流の発音だ!と思いました。(私が良い加減な発声なので尚更感動)

小鼓は竹村英雄先生。「地を走る、のヨセが格好良かったです。

木賊

河村和重先生。今回一番の衝撃。舞台全体に流儀のベテランの貫禄が漲っており、能の境地を垣間見た感覚。

位の難解な序之舞ですが、見た目で分かる特徴をいくつか。二段オロシに常座に下に居て休息があり、老女物の演じ方に近いですが、木賊ではシヲリがありました。また、位の高い曲は観世流でも呂中干に段を取るようでした。老女物では小鼓がカシラをツで控えたりしますが、木賊は普通にカシラでした。

「子は囃すべき、の打ち合わせや、トメの「父に今一目見えよかし、と膝を屈する型は良いですね。宝生にもあるのでしょうか(まだ観たことがありません。。。)

飛雲

金剛龍謹先生。稀曲です。現行曲で顰の祈働はこの一番になります。謡曲全集には、梅若以外の各流にある、としていますが殆ど観たことないですね。。。宝生では数年前に七宝会での上演を拝見しました。

さて眼目の祈リですが、金剛では二段でした。太鼓の流儀によらず、上掛かり一段、金剛二段、喜多三段だと思います。

そして実は観世太鼓は飛雲の祈リのみ、逆地という手を打ちます。ざっくり言うと、祈り地の上の句と下の句がひっくり返った形になり、とても不思議な感覚を受けます。

般若と顰の位の差を意識してこの手を打つのでしょうか?由来は不明ですが、今回の太鼓は観世流の井上敬介先生だったため、貴重な一番となりました。

金札

味方玄先生。色々と見ものなのですが、まずは悪魔を射払う弓を射る型。これは流儀によって型はマチマチのようです。

うろ覚えですが、宝生は舞台から一の松に向けて射ると、近藤乾之助先生の「謡う心、舞う心」に書いてあった気がします。

観世では脇正あたりから幕に射ておりました。今回の所演では幕に入りませんでしたが、大勢に影響なし。

キリは平和な世の中になったからもはや弓は不要として、弓弦を取り外す型が面白いですね。また「君も素直に、の辺りから太鼓は独皷の流しの手を打っているようでした。大小は常の手のような印象でした。

幕に入らなかったお陰で終演後に矢の写真を撮れました。味方先生のご利益があるかも知れません。(姿勢が良くなる、運びが良くなる、等々)

NO IMAGE