10月1日に京都の大江能楽堂で、師匠の社中会があります。私は橋弁慶の舞囃子を出させて頂くことになりました。
橋弁慶の舞囃子は本来、宝生流にはないのですが、近年作られた?そうです。「既に夜を待つ時も来て~「呆れ果ててぞ・・・が寸法になります。
師匠には、橋弁慶のイッセイ(カシラ越)が好きなので、イッセイの前からできないか相談したのですが、イッセイを入れるには能を出すしかないとの事でした。
カシラ越は急調の烈しい囃子の手から始まるのが特徴で、宝生流でカシラ越イッセイがある曲は、橋弁慶と山姥があります(他にもあるかも知れません)。また忠度という曲の後場は、宝生流ではワキの待謡の後にシテは通常のイッセイで登場しますが、下掛ではカシラ越イッセイになるようです。
違いは待謡の文句の相違が理由のようです。上掛り「須磨の関屋の旅寝かな、下掛り「嵐烈しき景色かな、嵐烈しきに由来してカシラ越とするようです。なお、上掛りでも下掛宝生流ワキの待謡の際は、両用の演じ方があると聞いたこともありますが、未だ拝見した事はありません。
橋弁慶でカシラ越イッセイに致す理由は、弁慶の気性の荒さや、橋をとどろかせながら強々とやって来る様を表現したいからだと思います。牛若との戦いには敗れてしまう弁慶ですが、本番では弁慶の強さを表現できればと思います。