呂の分別

今回の話は宝生流に限った話になるかと思いますが、、、謡で呂の高さで謡うときに、謡本に予め呂の指図ある場合と、なき場合とがあります。

ざっくり、小段の出だし付近であれば「呂」と書いてあることが多く、小段の中盤以降はほとんど「呂」の記号は出てこない、という印象を持たれている方が多いかと思いますが、実は原則があり、区別されています。

この区別に堪能になって、雑学の域を出るかというと微妙なのですが、意外に原則が知られていないようなので、呂の有無について原則を紹介しようと思います。

 

まず、呂の音はかなり不安定な音であり、基本的にすぐに上点によって、「下」あるいは「下ノ下」に戻ろうとします。

ところが宝生流には、上点でどの高さに戻るかを指示する記号がありません。一々「下」やら「下ノ下」やらと書くと却ってごちゃごちゃするためでしょう。

という訳でシンプルに覚書きするために考案されたのが「呂」の記号です、多分。

結論として、「呂」の高さで謡うときに、

「呂」と書かれている →次の上点で「下ノ下」に戻る。

「呂」と書かれていない→次の上点で「下」に戻る。

が原則です。ごく稀な例外もあるのですが、ほとんど無視していいです。(雲林院クセ「我らは出づる、など)

「呂」と書いている場合は低く謡ってほしいので、「下ノ下」に戻るというイメージです。

これが分かると、例えば融のワキ下歌「千里も同じ、を失敗しなくなったり、小督のカカリ謡「知らねどもさらば、で迷子にならなくなります。

その他、野宮キリでいきなり呂に取る「車に打ち乗りて、なども、意地悪で「呂」と敢えて書いていないのではなく、次の上点で「下」に戻るから「呂」と書いていない、と考えれば納得できると思います。

(この記事では、低い音から順に「呂」→「下ノ下」→「下」として扱っています。「下」を「中」と称し、「下ノ下」を「下」と称する教え方もあるのですが、「下」と「下ノ下」が最近の?宝生流における大多数の表現と思うので、この表現を用いています。なお、他流では「呂」→「下」→「中」が標準的な用法?)

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