澤風会の感想

 先日の京都澤風会で舞囃子橋弁慶シテ、連吟鉄輪の平地、舞囃子杜若の平地を勤めました。

 橋弁慶のビデオを見ると、2年前の澤風会で安宅の仕舞を舞った時よりも、弁慶らしく舞えたと感じました。どっしりと舞う事をテーマに稽古していましたが、まだまだちょこまかとした動きも見受けられるので、研究を続けたいと思います。

 杜若はキリの謡で未だ感じたことのない高揚感を感じました、プロの中に混じって謡わせて頂けた事に感謝です。頭に付ける場合の打込打返の謡い方も素謡では気にした事がなかったので、勉強になりました。

 そして個人的には、大学能楽部宝生会若手OBOGで挑戦した連吟鉄輪の方が圧倒的に感慨深かったです。半数以上のメンバーが無本であった事がその理由です。

 一般的に素人の発表会での連吟というのは、ある種の休憩時間のように捉えられる事が多いように見受けられます。仕舞と違って連吟は舞い手もいないですから、舞台を見る必要はないという考え方はわかりやすいかも知れません。

 残念ながら私も、演者の作法や謡う姿勢がだらしなかったり、見本で且つ謡えていない場合には失礼ながらも中座してしまう事があります。

 逆に私が必ず最後まで聞いてしまうのは、出来の良し悪しによらず、無本の場合です。無本で背筋を伸ばし、堂々と謡っている姿を見ると、中座するのが大変失礼に感じてしまうものです。

 俯きながら本を見て間違えないように節をなぞり謡うのと、間違えたとしても背筋を張って謡うのとでは、後者の方が立派だと思います。実際に演者の緊張感も後者の方が勝りますし、そうした緊張感が見所に伝播し、舞台上と見所とが一緒になって緊張感を高め合いながら盛り上がって行く、そういった連吟は無本でないと不可能だと思っています。

 見る方も真剣になるような舞台を目指すため、私は澤風会に入門してからは舞台は全て無本で通して来ました。当初はどの舞台でも素人では私一人だけ無本であったのが、今回の若手OBOG連吟で一挙に仲間が増えた思いがあり、舞台上で幸せを噛み締めていました。

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