宝生会秋の別会能メモ

10月22日の宝生会別会を拝見いたしました。数年後に読み返した時に思い出せるようにメモしようと思います。今回、筆記具を忘れる痛恨のミスのため色々と記憶が曖昧。

曲は安宅延年の舞、鸚鵡小町、融遊曲でした。2回分の別会を見るくらいのボリューム。当日は大雨でしたが、見所は7~8割くらい埋まっていました。

 

安宅延年の舞
シテ:宝生和英 同山:筆頭・辰巳満次郎 以下合計八名 子方:水上逹 ワキ:殿田謙吉 間:山本則孝 山本則秀 大鼓:亀井広忠 小鼓:大倉源次郎 笛:一噌幸弘 

 延年の舞の小書は他流にもありますが、宝生流は非常に重く、曲としても複雑との解説がパンフレットに書かれてありました。私が所持している亀井広忠先生のCDに宝生流延年の舞が収録されており、解説には葛野流で最奥の曲と書いてあった記憶があります。一応、このCDを3日間ほど聴きこんで別会に臨みました。私は常の安宅を拝見した事がないので、普段との違いは分からないですが、気づいたことをいくつか記します。

次第:弁慶一行の入場。脇能の次第と同じく、先頭がシテ柱を過ぎる頃に大小がヨセルツヅケを打ち、各自持ち場に到着したのを合図にサシ打切、謡い頭打切、謡出し。アイが地取し〜三遍返し。オキよりサシ。この後も上歌で上略など、各所で位をとっていた。おそらく小書なしでもこの通り。
ノット:葛野流大鼓のノット打ち出しは、2種類あるそうですが、(ツタプポ)△△、ヨーイ△、▲、イヤ△、イヤ△、オロシ、地打ち行きでした。謡い出したら打ち詰めてコイ合い、その後、地とコイ合いを行ったり来たり。地打ち行きの間に、総員配置につく。
勧進帳:ワキは勧進帳を読む弁慶の傍に立ちながら、勧進帳を凝視。勧進帳の最後に正面に向き直り、「関の、人々〜」。正面に向き直るところ、ワキの心情の中に、<誤って本物の山伏を引き留めてしまった>という後悔が見えた。
打擲する型:弁慶、金剛杖にて子方の着る笠の側縁部を左右左と叩く型。こんな所にも左右左の考えがあるかと謎の感動?(笑)
クリサシ:サシの終わりに大きく位を取ってツヅケ。サシ打切が間に合うのかと思いきやそのままオキ、クセを抜いて冨樫一行の到着。なるほど!クセ抜きでした。
延年の舞:「怪しめられるな面々と」より常と全く異なる。「山陰の一宿りに」と地謡座前にて目付け柱目掛けて扇を投げる型。「さらりと円座」で扇を拾い上げ、「菊の酒を飲まうよ」とワキ座に行きお酌、シテ「先達お酌に参りて候」ワキ「如何に先達一指御舞候へ」と問答。改めてシテ「面白や山水の」と一句謡い、地が続きを受け(位はかなりシッカリ目)「流に引かるる」とシテ正中に平臥、「これなる山水の」と目付け柱を滝に見立てて、平臥しながら滝の落ち口から滝壷までの流身を見込む型(滝は直瀑でした)。「落ちて巌に響くこそ」のあとは「萬歳ましませ、萬歳ましませ巌か上、亀は住むなり、ありうとうとうとう」。シテ立ち上がり「鳴るは滝の水」と謡い、笛吹き出し、延年掛。常の安宅掛よりも一鎖長いため、かなり入念な答拝。掛の左右は、左手の数珠と右手の扇を持ち替えて左に3足、スミに向き直りながら数珠と扇をもう一度持ち替えてスミ取り。初段を取るまでは型は男舞と同様。初段にて延年の手。二段(三段?)途中、大鼓のカシラより急の位。大鼓がシカケて地頭となるまで小鼓はひたすら乙流し。シテは舞の中、抜き足あり、ユウケンあり、非常に特殊な舞。笛はかなり複雑な運指と深いコミ。
舞アト:ツレの退場は子方を列の真ん中に据えており、前後から守っている感があった。

鸚鵡小町
シテ:當山孝道 ワキ:森常好 大鼓:國川純 小鼓:曽和正博 笛:藤田朝太郎

 初めて老女物を拝見しました。百歳の小町という事で、随所に老いを感じさせながらも、曲全体に卑しさがないのが非常に好感が持てました。いくつか気づいた点をメモ。老女の舞は若干記憶が怪しいです。

イッセイ:二の松で胸の前で杖に手をあて身体を預ける休息の型、長地2回程度。
鸚鵡返し:帝の文を受け取ったシテは、一旦文を開くものの、老眼ゆえに読めないとワキに文を返す。素謡の時は間を考えたい。
クセ:アゲハの3鎖前で大鼓がハジク手。小鼓は次の鎖で刻落とし。
老女の舞:地は中之舞準拠。ただし呂上げ(宝生は呂中干上げが基本)。掛の型は普通の中の舞の通り、笛や大小とも特別な手はなし。
初段:大小のオロシの手が常の中之舞とは異なった。またシテが拍子を踏むタイミングも常と異なる。呂上げへの変更に伴って舞の寸法が変わるための措置でもあると考えられた。
二段:オロシで常座にて平臥となり休息の型。大小はコイ合い4鎖程度、笛は会釈吹き。大小が地を2鎖程度打ったところで立ち上がり、常の中の舞に戻る。
三段:ヤーリヤーリなし。トメも呂、ゆえに笛の地は最後のみ呂中呂となっていた。小鼓の打下しを聞いて謡いだすのはいつもと一緒。ただし、三段の小鼓地頭〜打下しの打ち方は、掛け声を省くと△、ツ、△、、ツ△、踊、○○という風に(文章にすると分かりにくい)、イヤーを掛けない△をツでヒカえていた。二段の地頭はヒカエていなかった(記憶曖昧)ので、舞が進むにつれて老女が徐々に衰弱していく心持と理解した。

遊曲
シテ:大坪喜美雄 ワキ:工藤和哉 大鼓:柿原弘和 小鼓:鵜澤祥太郎 太鼓:三島元太郎 笛:寺井宏明

 融の小書は、シテが早舞二段で橋掛りに行くものが多いと個人的に思っていたので、遊曲も同様だと思っていましたが、趣がかなり異なる演出でした。覚えている事をメモします。

前場:いつも通り。ワキの出も所謂「思立之出」にはせず。
早舞:掛が特殊。太鼓の手の中で常座にて一つ汲む型。雰囲気としては天鼓の「波を穿ち」の辺り(型は全然違いますが)。立ち上がり、捧げる型の状態で正先〜大小前〜スミ、左へ廻り、地謡座前にてムラツケ、シテ柱方向に直って橋掛かり行き、橋掛かり一の松で見所向き直ってフミトメ、先ほど汲んだ水に月が映っているような心持あり、太鼓の流しに乗って大小前へ、下に居し、太鼓の習いの本打込の中で左右の露を取り立ち上がって答拝。頭スリツケを聞いて、常の早舞の掛に帰着。後はいつも通り。
地謡座でムラツケるあたりまでは頭〜受け走り打行、途中に何度か太鼓の重ねガシラあり。掛りは全体に翔に通じるものを感じた。狂いを表現しているような印象。

 以上。
 帰りは台風21号接近につき、いそいそと退散。
 大学能楽部の後輩たちの乗る夜行バスが生憎、欠便となり皆で仲良く新幹線で帰る事に。

追記修正
2017/10/26 
(ツタプポ)△△、ヨーイ△、イヤ△、イヤ△、オロシ、地打ち行き ⇨
(ツタプポ)△△、ヨーイ△、▲、イヤ△、イヤ△、オロシ、地打ち行き

シテ方および三役の名前追記

NO IMAGE