五雲会のメモ、葵上1

昨日は五雲会に行って参りました。

澤田先生の葵上は、見所にも緊張感のある良い舞台でした。

実は葵上は舞台で観るのは初めてでした。わりと上演の多い曲だと思いますが、縁がなかったのでしょうか。TVでは一度観たことがあるのですが、そのときは梓の出でした。今回もざっと流れをメモしました。

巫(ツレ)、大臣(ワキ)出て、やりとりあり、梓をかける件となり、小鼓より梓打ち出し。大鼓、流儀によっては地で打ち出すようですが、葛野流はコイ合出しでした。「あし毛の〜、のあたりで大鼓地ノカシラとなり、ヲロシ打ち、小鼓が梓を崩して結カケの要領でコイ合となり、一声。この接続は面白いですね。梓の出では一声の囃子を省き、梓の中でシテが一之松に出て「三つの車に〜だったと思います。梓の出の方が口寄せされてる感が強まりますが、常の葵上も音楽的には面白い構成だと思いました。

一声となりシテの出、シテは構えが小さく見えましたが、後で伺ったところ、装束が分厚くて非常に難儀とのことでした。

シテ一ノ松で大鼓シカケとなり、「三つの車に〜、とにかく謡い方が難しいところですね。情緒不安定な雰囲気を感じました。二の句の中に小鼓ハシリ等あり、シテ謡いの終わりに長地を打ち詰めてツヅケに接続し次第の囃子。ここはヨセルツヅケは打っていませんでした。後で澤田先生に確認したところツヅケ2ツの寸法で常座に到着すると好いそうです。一声二の句から常座に運ぶところ、状況としては初番目のアユミに近いかも知れません?

常座で打切となり、次第。次第の大鼓カシラが鋭くて素敵でした。次第アト地取オキあってサシ。サシの中でシテが僅かに息切れしていましたが、前述の装束の重さが原因のようです。サシを打切り、下歌、上歌。下歌の「あら、と上歌の「月、の出方が唐突な感じも受けましたが、物凄さはビリビリと感じる謡いでした。上歌はヤドメで続いてアシライ打行となり、シテ正へ出、梓はどこから聞こえるのか、と暗中模索する態で見廻し乍正へ出、巫女の視界に現れ、口寄せ成功。ツレ謡い出して大小オキ。大小は梓からここまで打ちっぱなしなので、葵上は囃子方も体力戦ですね!?

ツレが驚いている中に正中へ行き下に居となり、世をも人をも怨むべきではないのに、梓に惹かれ出た己を嘆きつつシオリ、ここに半ユリを持ってくるのが好いですね。半ユリあと、踵下ろしてクドキの心となって、自身の栄枯盛衰を儚みます。「朝顔の日影、の件は、当日の巫女の着付が紅白段に朝顔模様の唐織だったので、少しドキッとしました。

初同は、シテの「これまで現れ出たる、を受けて「也、思ひ知らずや〜となるのが劇的な効果があり面白いですね。流儀によっては、シテは普通に「也」まで謡うようです。それにしても「情けは人の為ならず、とは深いですね。ここでは因果応報といった所でしょうか。当日は「敦盛」の上演もありましたが、「仇をば恩にて報じ(法事)る」蓮生法師とは対照的です。

長くなりそうなので、今日はここまで。

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