宝生会 秋の別会能、楊貴妃

楊貴妃自体が初見なのですが、謡本によると、玉簾の小書がつくと九華の帳を表現するために、作物宮の前と左右三方に胴箔の葛帯を十二本づつ下げる。とあります。本数も決まっているようですね。

いつも通り感想と言うよりは出来事の羅列ですがメモ。

楊貴妃 玉簾

流れとしては、、、

ワキは方士(仙術の使い手)であの世に行き来できる能力があり、楊貴妃の魂のありかを求めて蓬莱宮にたどり着きます。所の者(アイ)に楊貴妃の居処を聞くと、森の中の太真殿という建物にいるとの有力な情報。

ありし教えに従って訪ねると、楊貴妃が宮の引き回しの中から謡い掛け、ワキと問答となります。

楊貴妃と対面した方士は、楊貴妃が亡くなった後の帝の嘆き様などを色々と語ったのち、楊貴妃に確と会えたことを帝に証明するために、形見の品を所望します。

楊貴妃は玉の釵(天冠で表現)を与えますが、釵はありふれた品なので他のものが良いと言う方士(ずうずうしいような・・)、そこで楊貴妃と帝しか知らないエピソードを所望(破廉恥な・・)、すると楊貴妃は七月七日に交わした比翼連理の私語を伝えます。

方士は満足して帰ろうとしますが、楊貴妃は帝を思う心を寄せて舞を舞い(クセ〜序之舞)、昔語も尽きないですが、方士は都へ戻って行き、楊貴妃は蓬莱宮に留まり続ける。

さて型としては、最初のシテワキ問答の中で、シテ謡の「九華の帳を押しのけて、で引き回しを下ろし、「玉の簾をかかげつつ、で簾を左手でかかげます。かかげる型は小書特有だと思います。

クセ前にロンギがあるのがちょっと珍しいですね。ワキ「さらばといひて出船の、は打切があるのに返し句がありませんが、観世などではそもそも打切にしないようです。

ロンギ後、特殊な地次第となります。「また取りかざし、あたりで方士から釵を返してもらい、地次第あとの物着で戴きます。

(キーアイテムの玉の釵ですが、一旦ワキに与えた後、クセ舞の前に返してもらい、釵をつけて舞いますが、方士が帰る段になって、再び方士に与えます。この授受の度に後見が介添えするため、なかなか後見も大変そうです。)

地次第はロンギから接続され、冒頭にトリがあるのが特殊です。トリの冒頭からカシラ三ツとなりますが、二句目はコイ合三地に戻り、終句をカシラ二ツで謡い納め、地取に接続、シテは後見座に坐し、物着となります。地取でコイ合三地を二つ打ち、物着もコイ合三地打ち行きでした。

物着が終わったらシテは常座に出、シテが謡い出したら小鼓から大ノリに移行し、暫し謡いあって、イロヘ。

イロヘの打上合頭よりアシラヒ。イロヘの打上合頭は船弁慶のように次がサシになるものは、(サシ前なので)ヲキを聞いて謡い出しですが、杜若、桜川などのようにクリ前だとアシラヒになるので、合頭を聞いたら適宜謡い出すイメージのようです。

サシクセとあって、クセドメのあと、替ノ打切となりヤアノトリを打ってキリ。

序之舞を抜く場合は直接キリのシテ謡「恋しき昔の、に飛ぶ様です。普段はカケ切だと思いますが、おそらくヤアノトリでした。

キリは天冠を再び脱いで方士に渡すため、後見がなかなか忙しそうでした。

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